但馬の名木「元庄屋の松」

〜伊能忠敬も見た⁈元庄屋の松〜

「元庄屋の松」と呼ばれ、竹野町民たちから愛されていた樹齢200年以上の松の木が、かつて元庄屋家(與田家)の敷地内にあった。松の根のもとに建てられている玄武岩の石碑(書:元衆議院議員・伊賀定盛)には1798年頃(寛政10年頃)に、近くの山(蛇々山)から移植したという記述が残されている。この松の最たる特徴は軒先で伸びる長い枝であり、高さは約10mだが、幹の中ごろから伸びるその枝は15m以上あった(その長さは屋敷の一階の屋根を通り過ごし家の横にある路地を越えていた)。その姿からは力強い生命力を感じることができ、長年、町の"シンボル"として住民らから親しまれてきた。
江戸時代の測量家・伊能忠敬が全国測量で竹野村を訪れた際、元庄屋家(與田家)の隣家である、住吉屋(御用地館)を宿にしており、伊能忠敬の一団もこの松の木を目にしていると思われる。
しかし、惜しまれながらも2012年(平成24年)に害虫被害により伐採されてしまう。伐採が決まってからは別れを惜しむように連日、近隣の住民をはじめ、遠方からも多くの人々が軒先を訪れた。
【※神戸新聞 (2012.9/27)「樹齢200年以上、町のシンボル、害虫被害 松伐採へ」】

松の根のもとに建てられた石碑

【書】元衆議院議員・伊賀定盛

【建】與田治郎右衛門(先代)

【材質】玄武岩

『元庄屋家 松の由緒』

「此の松は寛政十年の頃、当家老母が蛇々山より持ち帰り移植せるものなり。爾来百七十有余年を経、その勢旺盛樹姿威容にして“但馬の名木”の声髙し。当主鋭意之が保存に盡力し今日に至る。
髙さ十米五十糎(約六間)、太さ一米七十糎(約五尺七寸)、板張十六米五十糎(約九間)。」

昭和四十二年正月吉日
当主 与田治郎右衛門(先代)建之

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