北前船「禧丸(サイハイマル)」

北前船とは?

北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した、主に買積みの北国廻船(かいせん)の名称。買積み廻船とは商品を預かって運送をするのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。当初は近江商人が主導権を握っていたが、後に船主が主体となって貿易を行うようになる。上りでは対馬海流に抗して、北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して瀬戸内海の大坂に向かう航路(下りはこの逆)及び、この航路を行きかう船のことである。西廻り航路(西廻海運)の通称でも知られ、航路は後に蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長された。
【Wikipedia「北前船」参照】

古文書等の資料によると、江戸時代〜明治初期、元庄屋家も北前船の船主を務めていた時期がある。

興長寺寺請状

古文書

『寺請状』

寛政5年 (1793年)

『竹野町歴史年表』(1985年、竹野町史編さん委員会 編)
『竹野町史 通史編』(1990年、竹野町史編纂委員会 編)

掲載

北前船「禧丸」

資料

『文化〜明治年間、竹野北前千石船 ー船主/船頭と主な乘員ー』

(1804年「文化年間」〜1912年「明治年間」108年間の記録)

浜田・外ノ浦港客船帳

資料

『浜田・外ノ浦港客船帳』

(慶応4年以降、浜田市外ノ浦に入港した竹野の船での売買商品の記録)

明治19年(1886年)11月21日に、昆布を売り、焼き物を買ったという記録が残っている。

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