もし生きて帰ってこれなかったら読んでほしいと家族に伝えて戦地へと赴く。
(昭和20年正月十日、当時19歳)
①「参戦の喜」 かにかくに 喜しきものと知りながら けふのみいくさ いでゆく吾は |
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かにかくには「あれこれと。」「何かにつけて。」などといった意味の副詞。 喜しき(うれしき)=嬉しき。 徴兵検査で甲種合格、軍隊に入隊することが決まり喜んでいる。 10人兄弟なのに、この家からは兵隊が一人も出ていないと周囲から言われ、当時の世間体的に、家族は肩身の狭い思いをしていた。甲種合格の報告に家族も喜んだ。 戦地へ向かう自分を鼓舞する意味合いも込められている。 |
② 「感激の日」 感激の大和男子は御召しをば 神に佛に供え傳へん |
やっとお国の役に立てる時が来たと、軍隊へ入隊できる事実に感激している様子。 「大和男子と生まれなば、散兵線の花と散れ。」 これが当時の日本男子の本望であった。 神様、仏様(ご先祖様)に、手を合わせて、出征の報告をした。 |
③「はらから」 はらからの いさむることは 言葉なし なみだにかよふものばかり (「はらから」はらからの いさむる心 言葉なし なみだにかよふものはなく) |
はらから(同胞)は「1,同じ母から生まれた兄弟姉妹。2,おなじ国の民。」と言う意味。ここでは1の意味で使用されている。 両親、兄弟姉妹、祖母へ、家族との別れを読んだ句。軍隊に入隊し、散兵線の花と散る覚悟はできていたが、それでも家族との別れは辛かった。その気持ちは言葉に言い表すことができないが、ただただ涙が溢れてきた。 いさむる(諫める)とは「1,(主に目上の人に対して)その過ちや悪い点を指摘し、改めるように忠告する。 2,いましめる。禁止する。」という語。 いさむる=勇むる?!、ならば、心が奮い立つ様子を表している。 10人兄弟の中、唯一自分だけが戦争に行くことになったので、責任を持って務めを果たしてくるから安心してほしいという家族への想いも込めている。 家族は戦争の話題を出しづらそうであった。言葉はなくとも、頑張ってこいという気持ちは伝わってきた。 この句を実家の仏壇の引出しに入れ、戦地へと赴く。兄弟の中で一番仲の良かった4つ下の妹、房子(当時15歳前後)に「もし生きて帰ってこれなかったら家族皆で読んでほしい。」と伝えた。心境的に両親にはこの句の存在を伝えられなかった。 |
④ いでゆけば あの御社にたたへつつ 醜の御楯と いくる身なれば (いでゆけば あの御社にただ一つ 醜の御楯と いくる身なれば) |
ここで言う御社(みやしろ)とは「靖国神社」の事。 醜の御楯(しこのみたて)とは、天皇陛下の楯となって外敵を防ぐ者。また、武人が自分を卑下していう語。 いざ、戦地へと赴くならば、天皇陛下のために命をかけて戦い、亡くなったら戦友たちと靖国神社へいくという覚悟を詠んだ句。 |
⑤「感激の日」 召受けし日 昭和二十年 正月十日 |
昭和20年(1945年) 1月10日(水) に、この句を家族に宛てて書いた。 翌2月、大日本帝国陸軍満州独立工兵隊に幹部候補生として現役入隊。 與田治郎右衛門(襲名前:純次)、当時19歳。 |
シベリアの白樺トランプ同様、数十年ぶりに見つかった短冊状の辞世の句/遺書。
1945年、19歳の時、出征前に家族に宛て書いたもの。
写真はこの句を書いて70数年後、92歳頃の與田治郎右衛門純次。